団結しないサラリーマン


誰しも、ボーナスをもらえば、その金額があまりにも少なく、その税金のあまりに高いことを嘆き、必要経費の認められないことを悲しみます。


政治家や役人が汚職をすれば最大の納税者として腹をたてるし、役人が威張ると「税金ドロボーめ」と立腹します。


・・・ですが、サラリーマンの場合、こうした怒りはいつも薄暗いもの。


バーか、喫茶店のテーブルをはさんだなかで発散されるだけです。


とても団結へのエネルギーなど、片影だにみあたりません。


なぜ、不平があるならサラリーマンは結集しないのか。


なぜ、被害者としての不満を前向きのエネルギーとしないのか・・・。

天中殺ってのは

よくよく考えてみれば、

ここ12年ほどを振り返ってみただけでも、天中殺の時期に悪いことが集中したり、天中殺に始めたことがすべてだめになっているなどいう人はきわめて珍しい。

天中殺に結婚して十年たっても離婚の音沙汰もない夫婦はいくらでもいます。

「天中殺の時期に悪いことがおきたでしょう」と質問されると、天中殺の時期にうまくいかなかったことだけを思い出して、「なるほど天中殺ってのは悪い運気なんだ」と信じてしまうのでは占い師の思う壺です。

占い師はまちがっても「天中殺の時期におきた楽しかったこと、ラッキーなことを思い出しなさい」などとはいいません。

占い師は、当たった例だけをみて自分の占いが当たると信じ込んでしまいます。

それと同じ心理作用で、天中殺にうまくいかなかったことだけを取り出して、占い師自身もますます信じてしまうのです。

冷静によく思い出してみてください。

運気がよい時期でも、だめな時はだめだし、天中殺でもうまくいったことはいくらでもあります。

>>電話での占いはココです。

女性へのファッション・アプローチ 4

彼女たちはワードローブ(服装設計)の演出がウマイです。


それにふさわしい新鮮な商品アイテムを取り揃えている小売店が伸びるのです。


これからは、ファッションというものをそういう角度で見つめ、消費者と同じ発想で商品ストーリーを創造していく小売店が、この世代の支持を得ていきます。


各世代とも、わたしは、ミセス市場はまだまだ奥が深いと思っています。


彼女たちの世代はハミルトン ベンチュラなどブランド志向なのも特徴ですね。


「これからいよいよ厳しくなる社会環境の中で、自分の店をどのように引っ張っていったらよいでしょうか?」


・・・今、これが一番多く聞かれる質問です。


「さあ・・・


非常に難しいけど、わたしは、今、バスからあがったような爽やかさで人に接し、自分の仕事や行動が相手に濃い爪あとを残す、いつもそんな姿勢で立ち向かうよう心がけています」


・・・わたしがこんな答え方をすると、たいていの人達はハッとした表情で、納得したようにうなずいてくれます。


女性へのファッション・アプローチ 3

この世代が主軸になって、次々と新しいマーケットを創り出して、戦後世代の新しいライフスタイルが生まれました。


やがてこの人達が結婚生活に入ったとき、ニューファミリーの誕生!と、大きく騒がれました。


しかし、笛吹けどもニューファミリーは踊らずで、この世代を対象にした商売は惨たんたるありさまでした。


わたしは、この大失敗は、あまりにもこの人達のこ気嫌ばかりとり過ぎて、こび(?)ばかり売り、ニューファミリー層のニーズに応えていなかったからだと思っています。


・・・この奥さま方達は、小中学生や高校生の母親です。


教育費や住宅ローンもまだ進行中です。


ご主人は会社の中間管理職の人達が多いのです。


現在、35歳~44歳の女性人口は約886万人ですが、1990年に、35~44歳となる人口は979万人となり、100万人近くも多くなります。


この30代から40代までの奥さま方は、これからは一人一人が自分の生活のプロット・タイプと、ベーシック・カラーをもって、必要に応じて、買い替えと、買い足しの両面作戦を実に上手に演出して計画的なショッピングをします。


そして彼女たちはペンタキープを育てるなど、生活を豊かにすることにも積極的な姿勢を示しています。


女性へのファッション・アプローチ 2

"女は30代であるだけで美しい"


・・・といったのは、作家の筒井康隆さんです。


35歳から40歳までの女性層は、ニューファミリーの"お姉さん株"の人達で、そのすぐ下に、30歳~34歳になるミセス達がいます。


純粋戦後派の先頭集団です。


この年齢層の人達は中高校生の頃、日本の高度成長が始まったのです。


大学生やOLになる昭和40年ごろから、日本のファッション業界では一大革命がスタートしました。


昭和20年生まれのニューファミリーの"お姉さん株"の奥さま方は、19歳のときミニ・スカートをはき、戦後ファッション隆盛の"火付け役"となりました。


30歳から40歳にかけての女性層はビートルズに熱中して、グループ・サウンズと一緒に育ってきた世代です。


車の運転免許をもち、モータリーゼーションの普及にも先駆的な役割を果たしてきました。


ハミルトン カーキなどのブランド品を買うにあたって、クレジットや車による買物率が高いのもこの人達です。


遊びにも積極的です。

女性へのファッション・アプローチ

50代の人達は、自分が疎外されるということを極度に嫌う性質があります。


ですから、"いつもあなたが主役!"といった姿勢で対応することが大切です。


人生最大のステージに立つ人、円熟した女性・・・という敬愛の念をこめて服装を提案したり、推薦してあげたりします。


こうした女性たちはハミルトン ジャズマスターなどの高級ブランド品もうまくファッションの中に取り入れています。


そういう尊敬の念は敏感に伝わるものなのです。


友の会を組織化するときなどは、そういう50代の女性に会長になってもらうと、いい結果を生みます。


自分の時間を楽しもうとするから、この世代の人達がもっている疎外感を埋めるのに役立つのです。


旅行や観劇、食べ歩きなど店を中心にした会員が組織化されると、リストにのった人達は親近感を増して、その店で買う比率が一層高くなります。


従って販売計画もたてやすくなります。


・・・日本のファッション市場はいよいよ中高年齢層パワーが強くなっていきます。


ゴッホの描いた人物

オーヴェール・シュル・オワーズでのゴッホの仕事においては、サン・レミ時代のたとえば『星月夜』や『冬の風景』のような作品に見られる危機的な混沌が、さらに入り組んだかたちでさまざまな力を及ぼしているようです。


彼がオーヴェールに来た理由のひとつは、そこでガッシェ医師の治療を受けることだったのですが、『医師ガッシェ』にも、そういう混沌が影を落としているように見えます。


それは、オランダ・ベルギー時代の肖像画はもとより、パリ時代の『タンギー爺さん』や、アルル時代の数々の肖像画の傑作ともずいぶん違います。


不安な蒼い眼をした医師の表情にしても、頬杖をついたポーズにしても、ななめに画面を区切る朱色のテーブルにしても・・・


背景のくすんだ青いかげのようなものにしても、がっしりと組み立てられてはいますが、アルル時代の肖像画のように、見る者のまなざしを正面から受け止めるといったふうのものではありません。


この医師の謎めいた内面に巻き込まれるといった印象を覚えるのです。


ゴッホが、この肖像画を描いたのは、オーヴェールに着いて1月ほど経った90年6月のことですが、テオへの手紙で、


「これはぼくがここへ出発するさいに描いた自画像と同じようなかんじだ」


・・・と言っていることは少し注意していいでしょう。


少しあとでゴーギャンにあてた手紙では、


「きみはオリーヴの畑を見たことがあるかね。


いま現代独特の悲痛な表情をしたガッシェ医師の肖像を描いている。


いうなればこれはきみが『オリーヴの園のキリスト』で語ったのと同じようなものだ」


・・・と言うのであって、ゴッホがこの人物のうちに、彼自身と内的に相通じるものを見て取っていることがわかります。


ゴッホがアルルで描いた人物は、ほとんどすべてが郵便配達夫とか軍人とかいった人びとであって、彼と、ガッシェ医師のようなかかわりを持つ人物はいなかったのです。


ゴッホの『星月夜』 4

「ブラバンドの思い出」といっても、故郷の風景を写実的に描いているわけではありません。


『北方の思い出』という副題を付された作品が3点残されています。


そのなかのたとえば『冬の風景』という作品を見れば、思い出とゴッホの結びつきようがよくわかります。


これは、母と妹にあてた手紙で触れられている2点の作品中の前者をさすものでしょうが・・・


空も家も畑も、混沌と渦巻いていて、「思い出」という言葉から連想するような、静的なものではまったくありません。


「北方」を思い出すゴッホの眼と心とが、おのずからこのような風景を描きだしてしまうということが、いかにも興味深いのです。


いまひとつ注意をひかれるのが、ゴッホのほかの作品においては、ほとんどつねに中空にかかっていた太陽が、『北方の思い出』と題された3点においては、いずれも、まさに沈もうとしている点です。


ゴッホが、しばしば太陽とおのれとを重ねあわせていたことを思えば・・・


これは単なる「北方」を超えて、さらにその根源にある混沌のなかに沈みたいという欲求を反映していると思えなくもないのです。


ゴッホの『星月夜』 3

89年の秋になると、ゴッホの手紙には、「北方」への願望がくりかえし語られるようになっています。


9月10日付けの手紙で、彼は「ちがった光」や「一層明るい空の下で自然をながめる」ことや「もっと強烈な太陽」など、彼を南仏へ引き寄せたさまざまな理由をあげています。


こうして、おのれの心に南仏への愛着が消しようもなく染み付いたことを認めているのです。


しかし同時に「友人たちに会いたい、北仏の田舎をもう一度みたいという欲求が矢も楯もたまらず起こってくる」と言っています。


「ここにいると発作が馬鹿馬鹿しい宗教的な趣きを帯びがちなので、それだけでも北仏へ帰る必要があるとつい思い込んでしまう」


・・・と言います。


90年になっても、「北仏へ帰れば、なおさら気が晴れようと希望さえ持っている」とか、「北仏へゆけば、ぼくの病気は・・・すぐとはゆくまいが、早く治るだろう」とかいった言葉がみられるのです。


もちろん、ここにいう「北仏」の背後には、故郷ブラバンドの自然が広がっているのでしょう。


彼は4月29日付けの手紙で、


「病気のときぼくは記憶で小品を数点、北欧の思い出を描いた。


いま日の当たった牧草地の一角を描き終えたところだ。」


・・・と語っています。


同じころ母と妹にあてた手紙でも、


「病気が一番ひどかった間も描くことだけは描いていました。


すなわちブラバンドの思い出の、苔むした藁葺家の屋根やぶなの生垣で、秋の夕、オレンジ色の空には朽葉色の雲のなかに赤い太陽が沈んでゆきます。


それからまた雪のなかで葉を摘んでいる女たちがみえる蕪畑も描きました。」


・・・と語っています。


これらは、まさしく深淵のうえで身を支えるために描かれたのです。


呪術から宗教へ


原始的な魔法のすべては、本質的には要するに不運に対抗するための積極的な政策でした。


こういった魔法対策は、さいしょは自然界の災厄に対する防衛の武器・・・


厄除けの方法iであったのが、やがては幸運に対する御機嫌取りの方便として用いられるようになり・・・


そして、自然界ばかりでなく、広く人類生活の万般の事象にわたって関連するようになったのは、常識的な成り行きです。


護符とか、呪符とか、悪霊とか、妖怪とかいうものが、こうして生まれ、後に宗教と呼ばれるものが発生する根拠となるのです。


けだし、外的世界の性質についての考案は、呪術に始まって宗教へと発展し、末は哲学的思惟の領域・・・


または偽似科学・隠微学の状態に編成され、さらに科学的方法にまで体系化されるに至るのです。


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